日本で感じた差別。
最近は帰国後の自宅隔離期間が終わったために、日本で生活するために必要な各種手続きをするための外出をたまにしています。
その出掛けた場所で色々と差別について考えてしまった事が何度もあり、長期海外滞在した人間としてどうしても書いて残しておきたいと思いました。
私は西オーストラリア州パースに9年以上滞在してきた間、特に自分と違う人種の人間から”アジア人”という理由だけで明らかに他の人間と異なった扱いを受けた事があります。
まあ分かりやすくいえば、
”差別”
です。
これは私の場合に限ってですが、殆どのケースがこういう状況は私に接してくる人間が自分と違う人種である場合と周りが自分と異なる人種で自分だけで異なっているという場合で起きました。
でもそれは単に私がオーストラリアや現地の人達と同じように馴染もうとした過程で起こった事がこういう場合だったことが多いだけなんです。
周りに”日本人”が少なかったことも影響しています。
ただ、日本人と話した時にいろいろ違和感を感じた事もあるのでそれを差別と感じる人は差別と感じるのかもしれません。
わたしは、イジメと思ってましたが...
(また、こういう事も書こうかな。気が向いたら、、)
何が言いたいのかというと差別ってそんなに単純な事ではないのです。
これはおそらく、長期海外滞在した人間しか分からない事と思います。
オーストラリアは日本とは違って多民族国家です。
本当に色々な考えを持った人が共存し、誰一人として同じような人がいないと実感します。それで意外と似たような種類の人が固まっている事もあるんです。感覚的にそれは分かって言葉ではちょっと説明は難しいのですが、、そして差別的な雰囲気になるパターンも数多く見てきました...。
そこで分かってきたことは”差別化”する事は何も異人種間だけで起きる事ではないという事。
前にこのブログに書いたのですが、別に特定の人種間だけでのみ差別が起こる訳ではないからです。
でも基本的にオーストラリアという国は、多種多様な人間が共存しているためになんとかコミュニケーションをとって他人を理解しようという意欲がある人が大多数に感じてきました。
それは
”みんな違うんだよ”
という子供の頃からの教育が大きいのかな?と思ってます。
みんな違うから自分以外の人間は基本的に理解できないという考え方が根本にあるためで、そもそも対話しなければバックグラウンドが自分と全く異なっている人間を分かるはずもなく信用するきっかけさえもできないと考えている人が多いです。
だから自分を知って欲しいと思えば情報開示するし、相手がどんな人間か知りたければ質問してきて意見を知りたいと思い尋ねてくる人間が多いです。
そして自分の意見を上手く説明できない人は何を考えているか分からないから基本的に信用度が下がり、存在価値が低くなります。
だから非常にクリアーなコミュニケーションで慣れてからは私には凄く楽でした。
ああ、こういう事なんだ
ってスッと胸のつかえが取れた感じがしました。
だから対話もできない人間、しようともしなく自分と異なるものを排除しようとする人間(差別主義者)は基本的に教養があまりない”人間力”が備わっていない人間と私は考えていました。
だから、”アジア人”というだけで扱いを変えたり酷い暴言を吐く人間を私は
あぁ、こんなところに理性のない本能剝き出しの動物がいるんだな。
くらいに考えてそんなにも気分を悪くしたり怒りを感じたりする事もありませんでした。
そうでもしないと、海外暮らしなんて出来ません。
人間も動物の一種で自分を優位に立たせたくなると攻撃したくなる本能のようなものを持ち合わせているはずで、その気持ちをコントロールできない人が言葉や態度で表すと思ってきましたから、、
まあ、言い返したり対応を考えて悪い立場にならないようにだけは気をつけてはきたんですけどね...
そのおかげで打たれ強くなり、どんな人とでも会話できるようになっていい経験ができたなって思っています!!
だから、”差別”を人種間で捉えたり、そういう意識がある人を見るとかなり驚くんです。
例えば、誰かが”日本人の特徴”や”悪い所”を言っただけで人種差別になるのだろうか?という点。
本当に人の意見を受け入れる心のゆとりがあったり、仲が良くて心理的バリアがなければ、見た目の特徴や自分の悪い部分を言われたってそれは差別と感じないわけで、それを差別と感じること自体知らず知らずのうちに自分と相手を順位付けしているんではないかと、、
無意識下で、自分と他者を比べて自分の価値を測っていませんか?
という事なんです。
文脈や背景を読む能力がないと、人種の特徴や悪い所を言っただけで怒り出す人がいる事も単純に理解できないのです。なぜなら、どの人種でも特徴や悪い所があるのは当たり前ですし、すべての人間は万能でない動物でなぜ優劣をつけたがるのかも意味不明なんです今の私には、、
そもそも、違いを受け入れずしらずしらずの内に評価を下している状態が、
”差別”なんです。
そしてそれによって無意識下で対応を変える事そのものが、、
私は海外経験するうちに、多くの日本人が抱える特有の悪い部分もかなり理解できて、自分自身もかなり人との向き合い方が変わったし、私が抱えていた周りと馴染めなかった部分である”同調圧力の強さ”を理解しました。
人と違っていると、”差別”してくる人がなんと多い事か。
多様性を認めない同調を強要する思想が”差別”を生んでいるとひしひしと感じています。
たまたま、
人種、性別、年齢、所属、属性
を評価し上下関係を決めたがる人間がいると”差別”として表れやすくなるだけだと思っています。
そもそも全ての人間が不完全な動物だから、みんな違ってみんな良いはず。
それ自体が個性や魅力になるはずと考えればそもそも”差別”の話題なんて出て来ないはずなんです。
人と比較する事で、自分を測ろうとする人間が多い日本という国はオーストラリアと比べて非常に差別が細分化されていると感じています。気づかないうちに何気なく差別している人が本当に多く、”差別”を大きな声で言う人間が差別している状態も非常に多く気になります。
誰一人として同じ人間はいないし、感じ方も人それぞれ、考え方だって違うはずなのに謎の決められた枠組みから外れると変な目で見る人々、こういう意識が差別に繋がるんじゃないですかと言いたい。
日本という国は、物理的には恵まれていても本当に息が詰まる感じで精神的に暮らしにくい国と思います。
私が区役所で各種手続きをする時、前住んでいた場所がオーストラリアと書いてあるだけで、なんだか異星人を見るような変な目で見る人が多い事。日本で生まれた日本人なのに異様な物を見るような目つきで見られても正直言って意味不明だし、頭おかしいのかと思います。
長期離れていたので、知らない事が多く説明を求めても機械のように事務的な回答しか出て来ない。分かりやすく説明するような言葉さえできない人の多い事...オーストラリアと比較して窓口の対話力が低すぎてビックリしました。
それで見てしまったんです。
外国から来た人にまるで、小学校低学年や幼稚園児に語り掛けるような口調で話しているのを、、
「これ、大丈夫?分かるかな?」
「いい?ほらほらここ説明あるでしょ!いい?」
敬語どころか、見下しているような言葉遣いと態度。
その応対されていた方はとても綺麗な敬語で話しているのにもかかわらず、、
見ているこっちが恥ずかしかったです。
それで私には宇宙船から降り立った異星人を見るように避けているような態度やおどおどした言葉遣い。。。
そして、一様に揃っているような個性のない群れのような集団には機械的に丁寧な言葉遣いとスマートな対応で応対する。
ああ、差別ってこういう事なんだなと思いました。
本当に差別していなかったら異なるものを意識さえしないんですよ!
って事です。
過去の記事もどうぞよろしくお願い致します!
↓ ↓
同じ人種間でも差別ってあるんだよという話。
↓ ↓
discovery-australia.hatenablog.com
多様性を忘れたやりチンが、日本人と呼びながら差別化?
↓ ↓
discovery-australia.hatenablog.com
オーストラリアにいる差別する動物たちの話。
↓ ↓
discovery-australia.hatenablog.com
語彙力なしのバカオージー!!!
あれっ!?この話今日の日本人の話とかぶる?
↓ ↓
discovery-australia.hatenablog.com
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