アボリジニの態度が悪いのは何故
私はオーストラリアに来るまで、恥ずかしながらアボリジニはオーストラリアの先住民族という事ぐらいしか知りませんでした。あとは知識として、彼らは昔差別されて酷い目に合って迫害されてきたという歴史上の事実この事ぐらいは知っていました。
差別されてきたという話を聞いて、単純に酷いなあと思ったし可哀そうだとも感じました。かなり恐ろしい事をされてきていた事実も読んだり見たりした時にいたたまれない気持ちが湧いてきたこともあります。
しかしオーストラリアに来てから、正直に言って彼らアボリジニのイメージがかなり悪くなった時もありました。
こういう事言うと、差別だと叩かれると困るから言わない人が多いだけでオーストラリアに長期滞在した経験がある人は誰しも一度は抱く感情と思っています。
それは何故かというとすべての人がとは言いませんが、
彼らアボリジニはものすごく態度が悪い人も多い。
例を挙げていくと、
公共のバスの中で急に大声を出して喧嘩し出す
公共交通機関に怒りながら無銭乗車しようとする
突然、大声を出し主張を述べる
昼からアルコールを飲みおかしな行動を起こす
突然、他人に殴りかかる
無銭飲食
万引き
などなどがあります。
オーストラリアに到着したばかりの時にも、現地の日本人と知り合う度にアボリジニには気を付けた方が良いよという話ばかり聞いていた。
酷いと中には殴られたりした人もいると聞いたりもした。
悪い態度や悪い話を聞くたびに正直彼らに対する印象が下がっていったのは事実。
だって差別されていたのは昔の話だし、政府から保証までもらっている。。いつまでも過去の事ばかり言って態度を悪くするなんてと思っていた。
だけれど偶然
”Stolen Generation”という単語を知った時に唖然とした。
こんな言葉は日本にいた時は聞いたこともなかったからだ。
”Stolen Generation” 直訳すれば ”盗まれた世代”。
この世代は1910~1970まで続く。
そんなに昔の話ではないというのが分かるだろうか?
どんな世代かというと、政府が国の政策としてこの世代の子供達を先住民族の思想や言語、文化を奪い白人社会に適合させるために家族から離したという世代になっている。
白人の家の養子になる子供もいれば施設に入れられ虐待を繰り返されていた子供もいるという。
徹底的に英語以外の言語を話さないように強制される施設も存在していたと聞いている。
将来的に、もし自分の親戚や身内に会ったとしてもコミュニケーションできないようにとの狙いからだ。
理由は、政府そのものが白人でなくアボリジニというだけで劣等な存在とみなしていたからだ。
そんなに遠くない過去の世代でこのような事が行われていたのだから、まともな精神が保てずにアルコールや薬物に走る人がいても何もおかしくはないだろう。
それにまともな行動を起こさなくてもそれは理解できる。人は本当に壊れそうなほどの不幸を経験するとその精神を保とうとして新たな人格を形成する場合さえあり、世間一般で言う異常者になる可能性さえ秘めている。そこまで行くと本当に元に戻るにはかなりの苦労が必要になって来る。
当時のオーストラリアが問題行動を起こすアボリジニを作り出したと言えるのではないか。
子供が人格形成されるときに正しい愛情を受けないとどうなるか、人に頼ることが全くできない大人になります。
誰も一人では生きていけません、だから無理が生じてくる。
精神を保とうとするあまり、いきなり衝動的な行動に出たり物に当たったりする人間さえ出てくるわけです。
人に暴力をふるったりイジメたりする事でしか愛情表現ができない人間に育つ可能性だって秘めているんです。
これを自分で理解して直せる人間がどれだけいるだろうか?
知らず知らずのうちにこういう行動をとり、気づかずに悩む人間だっています。
それに気づいたとしても、一人だけで直すのは相当困難と思われます。それにかなりの苦痛が伴ってくる。
やはり誰かが手を差し伸べて、真の愛情を持って接さなくては治すのは難しいんです。
でもアボリジニの場合はマイノリティーであり、家族から断絶されてしまっている。それに同じ先住民の仲間に出会ってもその仲間だって同じ傷を持って治っていない場合の方が多い。
そうなれば、負のエネルギーが増幅するだけ、、
余計に何か仲間間で酒や薬物を手渡しあいそれに逃げこむ、一緒に悪事を働くという事になりかねない。
だからアボリジニの態度が悪くてもそれは社会が形成した産物である場合も多いという事を理解して接するべきなんです。
酷く傷を負っている。説明できないくらいの、、
同じような経験をしてきた先住民の仲間たちで本当にこの失われた心の空白を埋める事を乗り越えた人が一人でも多く出てこれば真に手を差し伸べ愛情を向ける事が出来るのではないんだろうかと思います。
実際、辛さを乗り越え強くなりこのような活動をされている立派なアボリジニの方もいらっしゃいます。
ただこの社会問題が消えるのにはかなり時間がかかるし、もしかしたらオーストラリアの消えない闇の部分かも知れません。
何事にも事情がある場合もある。
おかしな行動や、迷惑行為、態度が悪かったり性格が悪い人物。
人それぞれ人生において形成されてきた個な訳でそんなに単純ではありません。
人が悪い行動に走るのに何も事情がないという場合の方が少ない。その人間の生まれた環境や歩んできた人生により形成されていく自我。誰でも態度が悪くなる、犯罪を犯す危険性は常にはらんでいるという事実。人なんてそんなに単純ではなく、誰でもそんなに強くいられるわけではない。経験を積んでいって初めて強くなれるのが普通なんです。
アボリジニの態度が悪いから注意した方が良いと言ったり、彼らの行動を嫌って批判しているオーストラリアに住んでいる人を見るときっとここまでの事を考えていないし知らないんじゃないのかと思います。
ただその一方で、最近彼らアボリジニの人権を優位に立たせようとする運動も多いです。表舞台に立たせようとする動き。。
それに私は違和感を覚えています。今いろいろな問題が表面化し厳しい時代になっています。そんな時代においてあからさまに白人とあたかも同じように働かせたり地位を上げたりする事は何だか相当ばからしく見えてしまいます。パフォーマンスをしているのかと感じてしまう。
本当に差別していなかったら、名指して先住民の人々の地位をなんて言わないはずです。自然と対等に接するはずなので、、人権の事ばかり強調する人間は実際は差別志向が根底にあるのではないかと最近疑っています。
地位を上げるよりも先に彼らの心のケアや正しい歴史認識を広める努力を先にすればいいのにとよく思ってしまいます。
態度が悪くなるのにも理由がある場合だってあるんです。
誰でも人間で感情があるんだから。。
参考元:
The Stolen Generation | Australians Together
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