猫の手借りて、オーストラリア大解剖。

オーストラリアで体験したアッと驚く事、信じられない事実をシェアします!

バカは自信があって幸せ。

 

ここオーストラリアは本当に日本よりも自信に溢れている人が多いんですよ。

もう本当にビックリするぐらいです。

 

正直、私から見たら何も魅力がないようにみえる男でさえ堂々とナンパしてくるぐらいなんだから余程自分に自信があるんだろうなと思います。

 

態度とかが正に自信がある人のそれですから、、

 

見ていて面白くなるくらいで、いつも笑いを堪えています。。

 

”自信あります!!!”

 

ってオーラが出てるんですよ。

 

きっと男性も女性も自分の長所を正確に捉えていて、その部分を自分で愛しているからそれを最大限にアピールしているんでしょう。

 

でもね明らかに短所の部分や問題な部分が多すぎて、長所なんかすべて霞んでしまうような人でさえ自分が世界でかけがえのない存在で自分の言っている事は全て間違っていないと言ってきそうな態度の人を見ると、あぁーこの人は本当のバカなんだなと思います。

 

自分の長所の部分を見て納得して全く短所の部分を見ようともしない、だから自分自身を嫌になる事もないし悩むこともないんです。

 

こういうバカは美味しい物を食べて上手い酒飲んでSEXしてるだけで幸せなんだから、毎日充実しているんだろうと思います。

 

あまり細かい事や先の事を考えないから、会社で嫌な事があったらさっさと辞めればいいし相手と上手くいかなくても自分が悪いとは1ミリも思わないから酒飲みながら怒って次の人をさっさと探すだけです。

 

まあバカは相手なんかは誰でも良くて、とりあえず性欲を満たすSEXできればいいからさっさとアプリやナンパで探して済ませればいいから簡単なんだろなと思います。

 

道端で会って直ぐの人に

 

「俺の家に来て、夜を楽しもう」

 

声掛けて来るぐらいですから。。

 

よくそんな整形顔で語彙力もなく会話もできない奴が自信たっぷりに話しかけれたものだと思います。

 

 

ごちゃごちゃ書きましたが、バカは考える能力が欠如しているので幸せを感じるレベルがグッと低いという事が分かります。

 

だからバカは自信があって幸せなんです。

 

どうやってそんなに自信をつけていくのでしょうか、、

 

自分の良い部分は頭が良い人でさえも客観視していなければ気づかない部分があるから全て捉える事なんて難しい。

 

だから、当然バカであればもっと自分の長所を的確にとらえる事は難しいはず、、

 

どうやって自信がつくかは教育や周りの環境も大いに影響しているのだろうと思います。

 

例えば教育、

 

オーストラリアでは幼児教育の段階から、子供の良い所を褒めて伸ばすという環境があちらこちらであると聞きます。

 

その子の良い所を見つけて表彰する事をやっている学校もあるという話も聞いたことがあるので、そういう積み重ねで自然と”自分は特別なんだ”というような自信がついていくのかなと思います。

 

そうすれば自分の良い部分を気づかなくても、認識できますよね。。

 

あとは単純にコミュニケーションの方法だと思います。

 

回りくどい対話をオーストラリア人はしない事が多いんですね。

特に”謙遜”なんて事は殆どの人がしません。

 

小さいうちからこういう環境で育っていれば、例えば自分が赤の他人から褒められている時に素直にそれを受け取れるようになるし自分の良い部分を自覚できるようになるのではと思います。

 

例えば、近所の人に

 

 

「お宅の○○ちゃんは○○できて偉いね」

 

 

と褒められたとします。

 

 

でも、その後に自分の親が

 

 

「いえいえ家の○○なんて大したことないですよ。ただ○○してるだけだから。それにお宅の△△ちゃんの方が家より××できてるからすごいよ。」

 

 

とかいう風に答えるとどうでしょうか?

 

 

知らず知らずのうちにあぁ自分は大したことなくて、お隣の△△ちゃんの方が偉いんだなと思わないでしょうか??

 

こういう会話がちょっちゅう繰り返されればそんな気になって来る可能性も多いと思います。

 

「嘘も百回言えば本当になる。」

 

とナチス・ドイツのヨーゼフ・ゲッベルスも言っているように、何度も言われている事は本当かも?と思ってくるのが人間なんです。

 

繰り返し大したことないと言われていれば、本当に自分は大したことない人間ではないかと思う可能性だって否定できない訳です。

 

心理学の観点から言っても実際は能力があったり優れている所や長所があっても、そう思ってしまい自信がなくなるということだってあり得る事。

 

日本でよく使われる謙遜の文化がいかに害がある事かというのがここからも分かります。

 

あとオーストラリアは自分は自分、他人は他人と考える人が日本よりも多いから自分を他人と比較し物事を測るという事を日本人よりは行っていないと感じます。

 

それに年齢や立場によって偉いとかそういう部分が少ないからお世辞を言っておだてるとかも非常に少ないです。

 

だから大したことない人間をわざと持ち上げるような言葉を選ぶことをするなんてめんどくさいコミュニケーションを取らない人が多い。

 

せいぜい髪型を褒めたり、服装を褒めたりするくらいのもので、、能力がない部分をわざと強調してできる人であるように言ったりしません。

 

だから、単純に褒められてもその言葉を素直に信じる事が出来る。

 

でも日本の場合は変にお世辞という文化があるから、ひょっとして言われている事は嘘なんじゃないか何か裏があるのではないかと頭の良い人間ほど考えがち。。。

 

こうなってくると、他人の評価によって自信を持つ側面が人間にはあるのに謙遜とお世辞という回りくどいコミュニケーション様式のせいで、自分の何が良い所なのかさっぱり分からなくなってくる事も大いにありえる訳なんです。

 

あれこれ考えれば考えるほど、自分は大した事なくて他の人の方が優れているに違いないと思いがちなのが日本という環境。

 

だって良く物を考えれば考える頭がある人間ほど自分の欠点は結構自覚しやすいですから、自分は欠点だらけのように感じてしまう。

 

前向きな人間であればそれを改善しようとするから、どんどん人間として成長はしていきますが変な回りくどいコミュニケーションのせいで自分の真の評価が分かりずらい。

 

いつまでたっても自信を持つのにゴールが見えなくなる人もいそうです。

 

その点バカは何も考えない分、自分の欠点を自覚する能力も低いので利口な人間よりも自信があって幸せの場合があります。

 

これはオーストラリアでも日本でも同じ事なのですが、オーストラリアは日本ほど回りくどいコミュニケーションがない分自信をつけやすい環境なんです。

 

ああ、日本はバカであればあるほど自信を持って幸せに暮らせるバカな楽園って事です。

 

もう本当に謙遜やお世辞などバカなコミュニケーションでバカの楽園を作るのを辞めませんか?

 

私はウンザリしているのでそんな事に労力使いたくありませんし、すみませんが謙遜もしません。

 

 

 

 

   

 

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