猫の手借りて、オーストラリア大解剖。

オーストラリアで体験したアッと驚く事、信じられない事実をシェアします!

自分と他人を混同する日本人【期待と信じる事】

 

父が見ているTVからよく分からないフレーズが聞こえてきた。

 

「彼はやってくれると信じているので、期待してます」

 

私はそんなにスポーツ観戦はしないけれど、この時ばかりは画面に目をやった。

今話題の、大谷翔平が映っていた。

 

昔だったらこういう表現が聞こえてきても今ほどには違和感を感じなかったのかもしれないとは思うけれど、オーストラリアに滞在して帰国してから日本人の大多数が無意識に持っている”人に期待する”という感情について考えてしまう事が増えたのでこんなちょっとした解説者が発した発言にもひっかかる所があったのかなと思う。

 

どうも、日本人は他人に期待しすぎていると思う。

 

ところで”期待”とはどんな意味なんだろうか?

 

文字どうり、期を待つという意味で未来に何らかの事を心待ちにしているという風に取る事が出来る。

 

だから他人に期待するという事はその人がどんな風に振る舞ってほしいのか、その期待を抱く人間の未来に対する理想像が中心にある。

 

この場合は解説者自身が彼にこれからの好プレーを望んでいる表現と思う。

 

要は、他人に期待すること自体が自分の中に相手の理想の姿を思い描く事に他ならない。

 

いやいやそれっていい事でしょ?

と思う人もいるかもしれないが、本当にそうだろうか?

 

私はオーストラリアに長年滞在してきて、私が日本で生きていく中で息が詰まるように感じていた事の原因はこのあちこちに溢れる”期待”というものも原因の一つだったと気づいた。

 

そもそも、他人の理想像を決めて期待してもその人本人の理想と違う場合も意外と多いし、なんならその理想像が正解かどうかさえ分からない事の方が世の中うんと多いと思うからだ。

 

オーストラリアという国で生活する人は、本当に沢山のバックグラウンドを持っていて目の前にいる人間が何を考えているかどんな人間か分かろうとする事は本当に難しい。他人について予想していたって、その予測は外れる事の方が本当に多く期待などしていては裏切られる事が殆どと思っていい。と、いうか寧ろそれが当たり前と思っている事こそが最高で楽に生きられると思ってきた。

 

人はそれぞれみんな違うし分からないから、期待を寄せる事がどれだけ無意味か・・

 

自分基準で考えそれを他人に当てはめる、そして自分自身でさえ確定できないような他人の未来について待っている。それだけなら、まだいいのかもしれない、、だけど裏切られることが寧ろ当たり前で、みんなそれぞれ違うからもし予測と違ってもそれを何故受け入れられない人がこんなにも多いのか。。。

 

寧ろ、裏切られるのは当たり前でそれさえ面白いと思わなければ嘘なのに、、

違いこそ個性で、人間そのものの面白さでもあるのに。。

 

目の前にいる人間の違いをまずは受け入れる、本当であればそれが人間関係のスタートであるのにそれが欠如している人間が多すぎる。

 

知らないうちに他人の人生に介入し、口出ししたり怒ったり傷ついたりする人が何故日本という国はこんなにも多いのか、、他人と自分を混同し距離感が掴めないし、同調しないと気が済まない。

 

群れていないと落ち着かない幼稚な人間や精神面で不安定な人間が多いのは何故なんだろうか?

そもそも自分と他人は違うのに何故、同調できるのだろう?

 

その基準はなんなのだろうか??

 

意見が違えばそれを話し合ってお互いに取り入れて高めあったり、妥協点を見つけたりそうやって歩み寄っていく事で良いポイントを見つけ合っていく事が必要なのに、、

 

もっと日本人は物事に寛容になって、互いに許し合う姿勢を身につけるべきだと思う。

 

自分軸で考えても相手の考えが同じという事はありえないから、期待の押し付けをしてはいけないという事を忘れている人が多い事。ストレス社会を自分達で作ってしまっている。

 

正しい対話もできなければ、人間性が高まりパフォーマンスが上がる社会さえできないと思ってしまう。所詮社会だって、個人の集まりなのにその方法さえ分かっていない大人が結構多い。

 

オーストラリア人は日本人よりは、みんなそれぞれ違う事を知っているから意見が違ってもそれが当たり前でそれだけで攻撃されたと勘違いして怒ってくる人などいない。寧ろ、意見がない方が異様に思われるから全く日本とは逆の環境だ。もし他人が予想と違う動きをする事があっても日本人ほど驚いたりイラついたり怒ったりはせず、笑い飛ばしたり直ぐに忘れる人間の方が多い。

 

他人と自分は違うと認識する事はすごく生きていく上で楽になる良い事とオーストラリアで私は学んだ。

 

それに人に期待をしなければ、自分軸をとても大事にするようにもなる。

 

自分が気分良くいられるには、どうすればよいか?

 

他人に期待しなければ、自分が何をしなければいけないかを自然と考えるようになるから、他力本願でなくなり精神的にも成長する事ができる。

 

だから、日本人が他人におんぶにだっこで何でも他人任せになったり依存したりしているのが凄く目についてしまう。そして、何か起こると自分よりも周りのせいにするから何度も同じ失敗を繰り返し全く成長しない人間も多い。自分の過去の行動を省みなく、学習しないから大人なのにずっと子供のままの人も多すぎると思う。

 

「彼はやってくれると信じているので、期待してます」

 

の短いフレーズをみても、日本人の典型的な例を良く表していて信じる事と期待する事の意味を混同している事がすごく分かる。

 

”信じる”とは、今あるその対象そのものの価値を受け入れる事だから、当然予測していない事があっても受け入れる自分への決意も入っている言葉。

 

だから、そもそも

 

「彼はやってくれると信じているので、期待してます」

 

訳すと、

 

「彼自身の今ある存在そのものの価値を認め受け入れているから、私が抱いている彼の未来の結果に対して心待ちにしています。」

 

と訳の分からないフレーズになってしまう。

 

なぜ彼の今の存在そのものの価値を受け入れているのに、自分の心待ちにしている結果を待っているのだろうか???

 

どんなプレーをしても、その人の価値を受け入れないのか?

 

自分が待っている未来の願望をその人が果たす事自体がその人の価値でないはずなのに??

 

「信じる」「期待する」を混同しているこんな些細な事からでも、他人と自分の距離感が無意識下に掴めていない事が良く分かる。

 

本当に、信じているんだったら

期待するのではなく、応援すべきだろう。。

 

本当に良いプレーができた!!というのは、その人個人の問題なんだから他人が分かる話でないし、なんか期待ばかりされる人は大変だなと感じてしまう。

 

日本人の特徴として、自分でやりたい事や本当はやりたくない事があっても”誰かの期待”に応えようとして無理やりにその行動を行う人が多いと感じる。これはどんな分野でも言えるけどスポーツ選手も例外ではない。他者の期待に応えるためのプレーをして成績が落ちる選手も意外と多いと思ってしまう。

 

自分と他人は違うんだから、簡単に他人に期待したり期待を投げかけたりしない。そうすれば、他者にプレッシャーをかける事もなくなるし自分と違うはずの他人と向き合う事も面白くなり気楽になる。

 

自分と他人を混同して期待をせずに、まずは他人を受け入れる事から始めるのが大事と思ってます。

 

 

   

 

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