競争社会で生じるイジメ
どこの国でも競争社会という物はある。学校も成績がよさそうな人を妬んでイジメたりとかそういうのを日本でも良く見てきた。
だけれど、日本だと就職活動する時に特に学校時代の成績を重視しない会社も多い。だから嫉妬して精神的に攻撃するような人はいても、特に物理的に苦しめる事までする人間はあまり見た事がない。
しかしその逆でオーストラリアは、就職活動する時にかなり成績が重要視される傾向がある。しかも新卒一括採用でないから、最初から入る枠が少ない。それだから、優秀な人は物理的に蹴落とそうという人がいてあからさまに目撃する事もあった。
私は特に作品を作るような勉強はしてこなかったので、こういう経験をしなかったが例えば芸術やデザインなどの作品を提出して成績評価を得るような科目の場合はあからさまだというのが分かった。
私は知らない所があると、ふらふら歩いて探検して見たくなる癖がある。それは学校の中でもそう。たまたま、授業が無くなった時に普段使っていない場所を見に行ってみたくなってフラフラしていた事があります。
美術館とかにいってアート作品なんかを見るのも好きでそういった場所にもよく顔を出していました。だから学校で生徒が作った作品とかにも割と興味があります。だから芸術系の学生が通う教室の近くをフラフラしたりもしました。
すると、生徒さん達が何故かまだ完成もしていない作品を家に持って帰ったりまたは通学して来たであろう時に手に抱えて運んでいる所をみたのです。
家で仕上げるのが到底無理で、学校の設備がないと完成させることができないような物も持ち運んでいる人がいる。大事な作品だからかなと思っても、教室は授業が終わった時に鍵をかけているのでそこに置いておいても問題ないのに何故だろうと思いました。
でも、たまたま知り合いが芸術コースで勉強したので話を聞く機会がありました。
なんとその彼女が言うには、学校に置いておくと提出するはずの作品が無くなったり出来栄えの良い物は壊されたりするから毎回持ち帰っていたというのです。
彼女自身も、力作だった陶器で作った作品が欠けたり割れたりしたこともあったし、なくなった事もあるという事でした。
教室は簡単に出入りできないようになっていて、そこに置いているからクラスの中の誰かがやったとしか思えなくて軽く人間不信になりそうだとの話でした。
それも作品発表の少し前にクラス中のいろいろな人の代表作品が少しずつ壊されているという話でした。なくなっていた人もいるとか、、
内部の人間が、お互いを貶めるために目を離したすきにこんな事をしているとしたらちょっと怖すぎます。。
だって成績評価に使う作品をあからさまに悪い作品に劣化させて点数を下げようとしているのが丸わかりなのですから。。
大学に通っていた時も、建築デザインの学生が使っている教室の近くで授業があったことがあったのですが、そのあたりでは課題提出の時期になると大きな模型を抱えて登下校する人を良く目撃していました。。だから、きっと同じような理由なのかな・・?怖いなあと思いました。
ある日、模型を展示する日があって通路に彼らの作品が並べられていた事がありました。みんなで展示作品を並べている所で、もうこれはイジメに近いと思うのですが、、すごく出来栄えがいい感じの作品を変な作品などと言って蹴り倒している人を見てしまったんです。
私が通路を通る時にたまたま見ただけで凄く近くにいたわけでもないのに大きな声だからすぐ分かりました。
「変な作品だから壊してやれ!!」
とあからさまに言って一人の人がその作品を蹴ってそれから大勢がそれに続くような感じになっていました。
とても立派な作品が壊されている。。。
先生がいないので、やりたい放題。。。
嫉妬と競争心からあからさまに攻撃して評価対象になるものを壊そうとする、、心理的にネチコチと嫌味を言って痛めつけるのも酷いけれど、これはこれで物理的な攻撃でなおかつ評価に響くから凄く怖いなあと思った。
オーストラリアでも競争社会から生じるイジメはあるんだなあと思いました。
オーストラリアの学校(特に大学)の成績の評価基準って、課題提出によるものが半分以上を占めていてそれは完全に固定化されている。
でも人には得意不得意があってそんなに全ての科目や教科に適性がある人間なんてほとんどいないと思います。
これはオーストラリアでも日本でも同じだと思うけれど、苦手な部分をどれだけ頑張っても人は限度があるので自分の優れた部分を活かせる場所にいた方が良い。
成功しやすいし、人生において楽に生きられるから。。
だって嫌いな事や苦手な事を無理してこなしていたって辛いだけだし、時間も倍かかるし非効率なだけです。必ずどこかに自分よりできる人間がいるはずだから、そういう人間に任せて空いた時間で自分の好きな事をしたり休んだ方が効率がいいし良い毎日が送れるはずなんです。
社会は別に自分一人で周っているわけではない。。
最近はフリーランスで個人で働く人も多いがそれは同じ事。
あなたがいなくなっても、誰も困らないような仕事していたって代わりがいるんです。
それに会社という組織だったら、こういう役割分担が上手い場所の方がチームとしてのパフォーマンスが明らかに上がります。
できない事をいつまでも意地はってやる必要なんてほとんどないはずです。
芸術作品や、建築作品などはどうでしょうか??
手が器用だったり、技術が優れていたりそういう人間は恵まれています。
そして、みんなに羨まれる人間でしょう。。
でもそれだけでしょうか??
例えば、製図だったらやり方と理論さえ学べばCADというソフトでカバーできます。緻密な形を作ろうと思えば、何マイクロレベルまで綺麗に加工する精密機械がある時代。それに自分より器用な人間に任せてしまう事もできる。音楽でもコンピューターで複雑な音や人間では到底奏でられない音を合成する事が出来る時代なんです。
何が言いたいのかというと、AIやコンピューターもしくは自分より優れた人間がカバーできる技術に固執する事が何とバカバカしい事かという事です。。
代わりにする方法がいくらでもあるから、、
それよりも個々の個性、感性や特性を活かせる場所が必要なんです。
なのに、オーストラリアも日本も教育の評価方法が非常に遅れていると感じます。
これから大事なのは、個人の特性や得意な分野を集中的に伸ばす事ではないのか、、勿論技術や理論、方法論の基本的な部分を学ぶのは大事なのですが、、
早い時期から、自分自身が何が得意なのか優れているのか見極める事が出来ないと人生の質がグッと下がってしまうと思います。。
古臭い教育やそれによって作られる社会に毒され過ぎると、嫉妬を抱いて人を陥れようとする人が出てくるのではないか何とも無駄な時間を過ごしている人がなんと多い事か。。。
頭の悪い人間は、人の良い所を見ようとせずにそこから学ぼうとしません。そして、自分自身の事も分かっていません。みずからクズ人間となって嫉妬ばかりする。そして、自分よりも優れていそうな人を下げるような行動ばかりとる。全然、前向きな社会が構築されません。
誰でもどこか良い部分は持っているはずそれを気づき、そういった方法にシフトできたらいいのにと思います。一律の評価方式による競争社会で勝ち抜く事ばかり考えて汚い考えになっている人間は現代社会が作り出した膿のようなものと思います。
人を貶める言葉を投げたり、破壊行為を働いたりする前に自分自身を見つめなおして欲しいと思います。。
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