猫の手借りて、オーストラリア大解剖。

オーストラリアで体験したアッと驚く事、信じられない事実をシェアします!

何故そんなに謝罪するんですか!?

 

オーストラリアから帰国してしばらく経ちましたが、とっても違和感を感じている事があります。

 

それは

 

日本人は何故そんなに謝罪するんですか!?

 

ということ。

 

やけに

 

”すみません”

 

という表現を使う人が多くてそれが気になってしょうがなくなりました。

 

そういう私も思い起こすと、海外に長期出る前までは全く気にせずこの”すみません”という表現を多用していたような気もする。今となっては覚えていないけれど、、

 

だけど一つ言えることは、多言語を習得する過程で言葉に対する接し方が変わり昔よりも言葉の意味について考える事が増えるようになったのは事実。それは日本語も英語も共に、、

 

 

なんで、そんなに”すみません”と言うんだろうか?

 

 

サービスを提供する側がこういうこと言ったら、なんだか悪いサービスをしてるから申し訳ない気持ちを感じて謝っているのかと思ってしまう。それか、恥ずべきサービスをしていると自覚しているからこんな言葉が出るのだろうかとか変な事を考えてしまう。

 

今ある最善の物を良いサービスで提供しているのだったら、何故 ”すみません”と言う必要があるのだろうか??

最悪、もしサービスに汚点があったとしてもそれが料金に見合っている物、もしくはちゃんと商品に対しての説明責任を果たしているのであればなにも悪い事をしている訳ではなく恥ずべき行為とか悪いと思う必要なんてある訳ないんだから、、

 

もしこれらの事(しっかりとした説明や料金に見合ったサービス)を提供していないと分かれば、私のようなタイプの人間は、

 

あぁー、”すみません” と言って言い訳にしているんだな...

 

と感じてしまう。

 

 

家には良く電話が掛かってくる。

 

私のブログを前から購読してくれてる人は知っているかもしれないが、私は電話が嫌いだ。言い換えると人の身になって考えず、何度も何度もこちらが応対するまで掛けて来る人が嫌いだからで、そのタイプの人は人の時間の貴重さを考える事もしない自己中のキモイ人間だからだ。そういう人間に限って頭が悪いから要件がまとまらず、記録として文字で残さないと後々厄介で困るから電話は出ないと決めている。

 

私自身、本当に話したい人がいれば「何時頃に電話してもいい?予定大丈夫?」とか必ず聞くし、人の時間を邪魔しないためにそうすべきと思っている。それは自分が長年の経験で嫌な思いをした事が多々あったからで、他人に同じ思いをさせたくないという気持ちだからだ。。

 

だから滅多な事では電話に出ないのだが、最近電話越しからこのお決まりのフレーズ”すみません”が聞こえてきた。(私は目が悪い分、何故か地獄耳なんです。。。苦笑)

 

受話器越しから、聞こえる

 

”お忙しい中、何度もお掛けしてしまってすみません。”

 

と言う表現。

 

それを聞いて感じたのは、悪いと分かっているのに何故何度も掛けるのかという事。。

 

”すみません”と言う言葉さえ言いさえすれば、それが逃げ道となりこういうキモい行動でも許されるのだろうか、、相手の気持ちも考えずに、、

 

それって、ただの言い訳で言ってますよね?

 

と感じざるを得ない。

 

ここで使うのは、相手が不快に思うかもしれないという想像力を働かせたら

 

”ごめんなさい”

 

と言うべきだろうと思う。

 

だって、もし”すみません”という表現を使うのであればその言葉には反省しているという意味を込めているはずなんだから、もうそんなにしつこく人の時間を邪魔するほどに何度も電話するという迷惑行為を次回から改めるはずだからだ。

 

でも、この言葉を使う人は大抵また掛けて来る。

 

”すみません”と言う表現や”申し訳ない”と言う表現を使って、、

 

要は丁寧な言葉を取りあえず言ってごまかしてるだけで、全然礼儀正しい行動はしていなく寧ろ図々しい事をやってのけている。

 

”すみません”を言えば全て許される便利表現と思って使っているんだったら別に丁寧語でも何でもない訳。実態が伴っていないんだから、、

 

こういう事を少しだけぼやいていたら、せっかく丁寧な言葉を使っている人の事をそういう風に言うなんて行儀が良くないといわれてしまったが、私から言わせたらここまで言葉の意味を考えて言ってますか??と言う話で、正直日本語の使い方が間違ってますよね??と思ってしまう。

 

それに礼儀がなってないのはどっちですか?と言う話で、だって言葉について色々思う事は自由だし、考えるのを否定するのはおかしい。寧ろ間違って日本語使っている人が気になっただけなのに、、

 

私がこういう風に思うのは、本当に汚くて悪い人間で常に嘘を吐いている人はやけに丁寧で綺麗な言葉しか使わない人間が多い事を経験から学んだことに起因しているのかもしれない。。

 

そもそも、何故ここまで

 

”すみません”と言う言葉が気になったのかという事を考えると、

 

取り敢えず、思考停止状態でロボットみたいにこの言葉を気軽に使い自分の行動に逃げを作っている人が多いように思ったからだと思う。

 

みんなが良く使うフレーズをみんなと同じように使えば、周りに良い印象を与えるという無意識下の行動。日本人が作りがちな同調する空気が言葉にまで現れている。それが間違った言葉遣いでも、、なんだか変だと思う事は悪い事なのだろうか?怒られる筋合いはないと思う。

 

みんながみんな同じタイミングで同じことを言う。

 

心も込めずに、決められたから言ってるみたいに、、

 

私にとっては、こんなに気持ち悪い事はないんだ!

 

それにどうして、ポジティブな気持ちを素直に伝える人が少ないんだろう。

 

どうしてそれを恥ずかしいと思う必要があったり含みを持たせる必要があるんだろうか?

 

人生一度きりだし、遠回しに伝えてその時しっかり伝わらない可能性を考えたら素直な感謝の気持ちや誰かを褒めたい気持ちは直ぐに言うべきじゃないんだろうか?

 

自分が言われて嬉しくなる言葉、

 

”ありがとう” という感謝の気持ちを表す表現。

”すごいね”というほめる表現。

”素晴らしい”という称賛する言葉。

 

はそこに嘘がないならば別に惜しみなく使うべきではないのだろうか?

ポジティブな言葉を発すると自分も明るくなるし、相手だって気分が良くなるどれだけ使ったって悪い事なんて見当たらないんだから!

 

オーストラリアでは

 

”Thank you!”

”Amazing!”

”Fantastic!”

 

などのポジティブな表現をみんなが積極的に使う環境が多くて、私の心自体も頻繁に明るい気分になっていた。

 

お互いにもっと素直に、”すみません”の替りに”ありがとう”と言えないんだろうか?

 

それにいい物は素直にいい、悪い物は素直に悪いと感情を出す事は悪い事なのだろうか?

 

含みを持たせた表現ばかり使う事は、伝える事の弊害にならないだろうか?

 

 

本当にそんなに謝罪する必要があるのか、真意はそこにあるのか

ちょっと考えてみる事は大事だと思った。

 

 

   

 

 ご自身でブログ運営をされている方は、A8ネットでアフィリエイト始めてみませんか?

 

↓押してくれると飛び上がって喜びます↓

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村