髪色の自由から分かる事。
最初オーストラリアに来て数年は何故かあまり海外に来たなあという実感がなかった。勿論、飛び交う言語は違うし所々にある歴史的な建造物はその国らしさを表しているけれど、意外に日本とオーストラリアは似た雰囲気もある感じだった。まあこれは見た目だけの話かもしれないけれど、、
パースという場所しか知らないが、道路に走っている車も日本車がすごく多いし、街の中心部に行ってもちょっとした日本の小さめの街のような感じに店が並んでいるなあという印象だった。まあ物が何でもすぐ揃わない不便さがある所が違うぐらいで、、だからさほどは異国に来ているなあという実感がないままだった。。
行き交う人達の雰囲気や身なりが違うのもある意味、日本のようにほとんどアジア系の人種で人口が占められているわけではないからある意味当たり前だと頭で理解していたからそれだけではあまり海外だなあという風にも感じられなかった。
だけれど、何年か経過して初めてああここは日本と違って個人の自由を誰も干渉しない個人主義の国なんだなあと実感した事がある。
それは専門学校の中にある店である店員を見てからだ、、
その店は学校指定の教科書や勉強に使う文具などが置いてあるアカデミィックな店。
そこに毎日いる女性店員はすごくロックな格好をしていた。。
おそらく、タトゥーもしていたと記憶している。
最初、そのお姉ちゃんの髪の色はブロンズだった。
だけど、オーストラリアではブロンズの髪色の人なんて沢山いるから全然目立つわけではない。
だけど、ある日彼女が驚くような髪の色にチェンジした。。
なんとブルーとゴールドとピンクの3色をグラデュエーションにした超ハデな髪色である日突然レジに立ち始めた。。
そもそも日本だったら、こんな髪色をしてお堅い雰囲気さえ漂う学校の中の店にこういう人がいたらみんな変な目で見たり避けたりしそうなものだ。。
だけれど、お店で買い物する生徒や先生たちが彼女を見つける度に、
「わー!その髪色すごいねえ。綺麗に色が出てるけどどこでやったの??綺麗だねえ」
とか、
「わーどうしてそんな色に変えたの!!思い切ったねえー。その3色好きなの?ハッピーになった?」
とか、
その髪色を沢山の人が褒めたり話題にしている様子が見られた。
彼女もお客さんに
「前のとどっちが良いと思う。この色は私のこのタトゥーのこの部分の色に合わせたんだけどどう思う?」
とか尋ねたりして、、
勿論ブロンズの方が好きな人もいてそういう人とは、
「えーブロンズの方がいい??私、前の髪色が飽きちゃったから雰囲気変えたかっただけなのにー!そんなこと言わないでよー。気に入ってるんだからー。」
とか凄く自然に楽しそうに会話している様子が見られた。
彼女はすごくフレンドリーでいつも探し物があると駆け寄って来てくれて丁寧に応対してくれるとても良い性格のお姉ちゃんだった。
その人の人柄と働き方が良ければ、髪型をどんな感じにしてもみんなが受け入れるし、それを軸にして会話や雑談がすすんでいる。
3色のド派手な髪色とか、タトゥーとかロックな格好が受け入れられるから自由という事ではなくて、個人の趣味や嗜好を否定せずにまず受け入れてそれに意見を言ったりして会話が生まれる状況を見てああなんか息苦しくなくていいなと思った。
なんでも形式みたいな型にはまって判断せずにちゃんと人を見るんだなあ。楽な世界だなあと初めて自分が日本で感じた不自由さから解放された気がした。
私もお会計をする時に、3色の色が綺麗だねと彼女を褒めてあげた。
正直そんな奇抜な見た目よりもよっぽどブロンドの方が私の好みの髪色だけど、彼女はなぜかその3色が凄い似合っているように見えたからだ。
もちろん、元々の顔立ちや目の色とかも髪色が似合う似合わないの要素がありそうだけど、それ以上に思い切った色にチェンジした彼女はニコニコしていて凄くハッピーに見えてだからその色が凄くマッチしているように見えたのかもしれない。
ともかく、やるべき事をしっかりこなして人に迷惑さえかけていなければ特に髪色や恰好などにそんなにうるさくないその環境が全然日本と違う所だなあと思った。
こういう考え方は髪型やファッションだけでなくていろいろな場面に根付いている気がする。
勿論一定のマナーはあるけれどこういう時はこうしなければいけないとかガチガチに固められたルールのような物がなく非常に柔軟でその場その場で対処できる力という物が非常に強い人が多い環境だなあと思う事が増えた。
日本なんかは、学校の校則から髪色なんかはかなり厳しくて染める事なんてできない状況だったけれどオーストラリアで通学している子の髪の毛を見るとみんな思い思いの色にしているから私の10代の頃の学生時代とはかなり違うなあと感じる。
私はずっと校則が厳しかった反動から髪を染める憧れが激しくて大学に行ってから色んな明るい色に染めたりもした。
茶髪でもアッシュ系のオレンジ系、イエロー系、ほんのりとしたピンク系と色々な茶色にチャレンジした、、正直イエロー系なんかはかなり似合っていなかったけれど、誰もそれを直接言わずに遠い目で見るだけで挙句の果てには似合っているという人までいて笑ってしまった。
何故か髪色を明るめに変えた後からは周りから舐められなくなったけれど、その反面年がいった先生の実験のクラスはその先生が勝手に私に目をつけているのがあからさまに分かった。
真面目に実験しレポートも期限内にしっかり出しているのに、お前はそんな髪の色してるから真面目に纏めているわけではないなどと訳も分からない事を言われたし、そんな舐めてる奴はちゃんと計算ができているわけがないとやたらと細かくチェックされた事もある。
どうしても髪色が明るいと似合う服も変わるので服装も少し攻撃的な事が書いてあるロックっぽいTシャツとか個性的なデザインの物とかを合わせたりしていたから不良に見えたのか。。ちょっと笑ってしまう。
前の授業が長引いて全員が次のクラスに遅刻しているのに、
「お前、なにしてんだ!!」
と自分だけおじいちゃん先生に怒鳴られたこともあって、散々だった。
どうせ髪の毛の色変えるなら思い切って明るい色にすればいいと思いイエロー系の茶色の明るい色にしてめちゃめちゃ似合っていなくて恥ずかしいのに尚且つ目をつけられて本当に良い事なかったw
恥ずかしがっていると余計に見た目悪く見えるから恥ずかしさを隠し堂々と恰好も髪色に揃えて演技していたのにそれでも目をつけられて本当にめんどくさかった事をちょっと思い出した。。
オーストラリアだったら普通に、
「その髪色、思い切ったねー!!イメチェンしたじゃん!!」
とか、
「うわー!前の色の方が似合うんじゃない!!だけどあなたが気に入ってるんだったらそれでOKかな?だけど、前に戻したら?」
とかの明るい雑談が繰り返されて、
実験の授業でも真面目にこなしレポートも期限どうりに質の良い物出していたら何も言われないんだろうなあと思った。
日本で大学時代、私は計算とかが得意だったからデーター解析もいつも間違わずに実験の次の日に提出していたし何度も訂正させられたこともなかった。
それなのに、恰好だけであいつがそんな真面目にやっている訳がないという人がいるなんて本当に失礼だと思っていた。。
人を見た目や固定観念で判断するお年寄りが多いんだなあと学んだ。
だけれど、そういうおじいちゃんの研究室はいつも時代が止まったようなどこからか引っ張ってきたような真似のような研究内容ばかりで論文もろくに目新しいような物がない場所で有名だったからやっぱりこういうところにも自由な発想ができなくて発展性がないんだなあと思った。
オーストラリアは髪色を自由に選んでもそれだけで人を判断する人がグッと少ない環境のように感じた。
良く考えたら、髪色なんてその人の自由だもんなあ。。。
と、言っても明るい髪色は本当に似合っていなかったからもう二度としたくない!!
その当時は言わなかったけどメチャクチャ恥ずかしかったから。。苦笑
3色ぐらい試した後やっぱり自毛に近い色が一番似合っていると途中で気づいたもんなあ。せいぜい普通の茶色で止めておくべきだったwww
少しずつ髪色を暗くしていく過程で自分の精神が落ち着いていくのが分かったもん。。
髪色なんて自由にしたって、結局は自分の落ち着く場所に戻るんだし、、自由に意見を交換できるような開けた環境だったら途中で誰か指摘してその人にベストな色に落ち着くだろう気がするから。
そんなに細かく髪色に固定観念持つ必要ないと思う。。
髪色くらい自由でいいんじゃないの?
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